232: 名無しさん@まとめきんぐだむ 2019/02/04(月) 00:41:38.82 ID:9YDbTOUT0
新CMきたー
251: 名無しさん@まとめきんぐだむ 2019/02/04(月) 00:42:05.73 ID:jVYQUkfa0
うわ泣くやん
253: 名無しさん@まとめきんぐだむ 2019/02/04(月) 00:42:06.30 ID:Q7iNr/xed
カッコ良いやんけ(`・ω・´)
256: 名無しさん@まとめきんぐだむ 2019/02/04(月) 00:42:22.88 ID:P0HOqaG7d
cmだけでかっこいいってなんやねん!!!
258: 名無しさん@まとめきんぐだむ 2019/02/04(月) 00:42:30.26 ID:lJfWeZAM0
CMすげえかっこいいな・・・
257: 名無しさん@まとめきんぐだむ 2019/02/04(月) 00:42:29.48 ID:AtlkMmFHa
やっぱでかい画面で見たいなぁ
引用元:http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/keyakizaka46/1549207242/
ソニーミュージックエンタテインメント
ソニーミュージックエンタテインメント
ソニーミュージックエンタテインメント
ソニーミュージックエンタテインメント
映画の予告レベル
CMの出来もいいよな。嬉しい。
素晴らしいよね
面白楽しい「けやかけ」とのギャップ効果も期待できそう
素晴らしかった…
これ映画化してください!欅メンバー全員でドラマでもいいので。
流石のインパクト。
CMだけでもう、エモいって凄すぎる。。
このCMにギュッと詰め込まれてる 発売待ち遠しい(;_;)
ミュージカル映画の予告編のようだな~
もはやアイドルではない世界
勘九郎さんの感想が聞きたい
映画館のスクリーンで欅のMVの上映会とかやってほしい
ソニー勝負だな
メンバーもいい所使われてるね
希望で溢れるよう頑張ろうな
※5
わかります!!メンバーが演じるそれぞれの人に何があったのか、背景を見てみたい。
この中の僕の過去も。
私としては、最後は希望が見える結末に。
本当にこれは映画で観たい。
「僕の周りの世界は絶望で溢れている」ってことは僕は生きてるんだな。
映像作品としては好き
ただグループのMVとしてはちょっと微妙
絶望で溢れてるって文句、下手すれば絶望の安売りみたいに取られるけど、平手が全部リアルにしてくれる。
ていうか、嘘の言えない平手だから、世界の絶望は平手のリアルなんだろう。
イントロもちょっと聴きたかったw
※15 もしかしたら、「僕」は霊的な何かとしてこの世に存在しているかもよ。
全国の中高生よ、社会は君達が思うほど絶望に溢れてはいないからね
今までの作品の世界感をメンバー主演で映画化してほしい。今までのと繋がってそう。
※20 それは思った笑笑
この曲のさらに長いMVもほしいな、15分から30分の。
※20
安心しました!
※15 ※17
細かい部分ですが、
絶望で…ではなく、
絶望に…なので微妙にこだわりがあって、ニュアンスが変わってきそうな気がします。
メンバーそれぞれの背景描いた映画見たい
確かに「日常的には」それほどの絶望はない「かのように」見えますよね。でもそれは社会がそう「設計」されているからです。
例えば葬儀場とか産廃業者とかラ○ホテルって、たいてい町のはずれにないですか?人は自分たちの目にしたくないものを、中心から周縁に追いやって、普段はあたかも存在しないようにして生きていたい生き物なんです。
逆に町の中でも、貧困や暴力や病気は、家や学校や職場や病院の壁の中に入れば、まわりからは「なかったこと」にされます。
こういう作品の一つの役割は、そういう事実を忘れないでいるための、ある種の「備忘録」だという点にあるでしょう。
言い方は悪いが、臭い物(者)には蓋をして見えない(むやみやたらに見せない)仕組みになっているだけ
犯罪、命、差別、いじめ、虐待、LGBT
自分が当事者や関係者にならない限りリアルに感じられないだろうが、毎日実際にあちこちで起きていること
自分がマジョリティー側にいて気がついていないだけかもしれないし、傷つくのが怖くて目をそらしてるだけかもしれない。もしくは自分が育ってきた何十年前のバブル時代の感覚で今の中高生を見てるのかもしれない。格差は確実に広がっているしそれを自己責任に押し付ける社会になってるのも事実。少なくとも今の日本は希望に溢れた社会ではないよ。
犯罪、命、いじめ、差別、虐待、LGBT、精神疾患など
毎日あちこちで実際に起きていて少なくない人数が苦しんでいることだけど、自分が当事者や関係者にならない限りリアルには感じ取れないことでもある
臭い物には蓋をするのと同じで、なるべく大勢の目に生々しく晒されないように隠されているだけ
「僕」が霊的な何かでしかないのなら「僕」は肉体を持ってこの世に存在しないことになりますね。人間は肉体という物質から逃れることが出来ないがゆえに苦しみ孤独を味わうのです。「僕」の苦悩はそうしたところに源泉があるのですが、仮に霊的な何かだとした場合に例えば成仏できない霊魂のようなものだとしたら、それが生きている人間にとってどのような意味があるのでしょうか?例えば、「僕」が生前関わった人間たちが、「僕」が死んだことを未だに心に何らかの形で留めている場合に残された人間の思考や行動に影響を与えるかもしれません。祭壇の子供も彷徨う魂の「僕」が天国に行けるようにやってきた天使かもしれません。これはこれでアリかもしれません。
しかし何のために「黒い羊」というタイトルで描かれているのかを考えると、三つの段階があると考えられます。
第一段階は、白い羊の普段は抑圧している心の中に住む黒い羊
第二段階は、白い羊が否定する他者として存在する黒い羊
第三段階は、白い羊の概念や認識とは関係なく存在する黒い羊
この物語の根幹にあるのは、この三つの段階で想定される黒い羊としての「僕」が白い羊である「私、私たち」との関係のなかでしか定義されない1と2の段階から3の段階へどう生き抜いて「救われる側から救う側へ」転じるかということにあります。一方で白い羊にとって、黒い羊は白い羊の影ではなく確かに存在するものとして認識されなくてはならないし、「放ってはおけない存在」「無視できない存在」への態度を習得しなくてはならないのです。
つまり「黒い羊」の物語の一番深いところにあるメッセージは、黒い羊と白い羊がそれぞれ生きて存在する人間として描かれることで理解しうるものなのです。仮に黒い羊の「僕」が霊魂ならば「白い羊」にとっての話でしかなくなります。「黒い羊」の物語は、黒い羊の「僕」が生きながらにして心が死に、それでも愛を信じることで救われ、他者を救う側になるということが描かれる必要があります。まとめると、相互的に相補的に定義されるような「白い羊」でも「黒い羊」でもなく、その二項の外側の愛に立ち、一人の人間として生きながらにして心を取り戻していく「人間」を伝えていくことが「黒い羊」のメッセージです。それは、生きている人間の「主体性」に関わる大きなテーマだからです。更に言うなら、肉体を持たいなものには「現在」としての時間の概念が与えられないからです。霊魂に時間の幅をもたせることは、「黒い羊」を上の1と2の段階に引き戻すことになります。つまり生きているものの存在を認めないのと同じ態度を取らせてしまうのです。「黒い羊」が生きているかどうかを疑うのではなく、生きている「黒い羊」への想いとしてこの物語を感じ取ること、つまり「苦しいだろうけど負けずに生きていて欲しい」というシンプルなメッセージを感じ取ることが大切なのだと思います。
このCMの編集好きだわあ。
一緒に頑張ってきた仲間が利益のために脱がされていくんだからね
でも平手友梨奈ならそういうものに抵抗してくれそうで希望を持ちたくなる。それではじめて勇気をもらえる
いい!
もっと長いバージョンも見てみたい!
mvもだけど救いがなくて悲しくなる
希望に溢れてるわけじゃないけど周りをよく見たら絶望ばかりじゃないと思うんだけどなあ…
※34 まあ普段目をそらしてるけど本当は身近に絶望してる人っているものなんですってことよな。
まあメンバーの絶望もあるけど平手には見えてるのかな。
センターを外れることは許されない平手。
センターへの道は閉ざされているメンバー。
全部僕のせいだ。
希望を捨ててるわけじゃないから必死にもがいている。そしてそういう人を笑う冷笑主義者もいる。メンバーは伝えたいと言っている。全員ではなくても伝わる人がきっといると信じている。希望というのはただ明るいだけのハッピーなものじゃなくて暗闇の中に小さく光る灯りのようなものだよ。
妄想信者が溢れる・・・
平手って現代に生きるシッダールタのよう。
こうやって安全なところから絶望を語れる大人はいいけどね。
世界には愛しかないんじゃないの?
まあ、高校生の私からしたら結構共感?できる
何だろう。いじめられてもないし学校は普通だけどでも共感しちゃう欅
与えられる愛の段階から、その愛を増幅する段階に欅ちゃんたちは入ったんだと思うよ。
MVについてはかなり手放しで凄いと思っているが、その語りはいるか?と思ったね。
岡田斗司夫風に言うと演技と説明の問題で。
MVは、飛び降り自殺の後のシーンから始まるのだから、平手は霊か、仮死状態でしょ?
仮死状態で一命を取り留め、更生するような背景でも用意しておかないと、海外の宗教団体から叩かれ、役所からはMV削除に追い込まれる。
やすすよ、今度は知らなかったでは済まないぞ。
一番秋元康に大事にされながら絶望とかバカかよ
平手以上に絶望したメンバーいっぱいいるわ
※39 安全なところなんてないんだよ
MVで盛り返したがこの台詞は臭すぎて受け付けん
飛び降りたのが誰なのか誰も見ていないし確認しようがないシーンから始まっているので、自殺説ありきには違和感しかないですね。
もし僕が死んでいるとしたら作品としてのメッセージ性は殆どなくなります。
人間は死に向かいながらもその死を忘れて生きることに没頭するからこそ苦しむし悲しむし、いずれ訪れる死を恐れるのです。そのなかで同じく生きる苦悩のなかで最後まで生きようとした人の生き様に残された我々は励まされるのです。死んだ後の霊魂から励まされるには何らかの聖痕を通して神の顕現を知るようなことでもなければあり得ないでしょう。死後に語り継がれる聖人伝説であってもそれは当然聖人たちの生き様なわけです。精霊の悪戯ならただのメルヘンなファンタジーになってしまいます。その場合は現実逃避したエクスタシーしか得られないのです。この違いはとても大きいです。
若い人達は、この曲の世界観に魅せられて、浸って気持ち良くなってんのか知らんけど、「絶望」を認めた先に何があるわけ?楽しくないじゃん、そんな人生。こんな自殺を助長するような曲、本来の音楽の役割とかけ離れてるわ。より刺激的に、若者の心を掴む、みたいな狙いなんだろうけど、エスカレートすると破滅するぞ、このグループ。
ストリートビューでみたんだけど、
黒い羊の撮影場所の北側の道路のところで瓶ケースに座って遠くを見つめるオッサンの目には何が映ってるのだろうか?
この作品は他者と共に迷いながらも生きて行く物語であり、同時に孤独に生きてみる大切さも示している。
孤独の時間を生きた僕は孤独の時間を生きようとする就活生(ねる)と入れ替わるように他者との時間に戻ってくる。そこで触れた他者の絶望に押し潰されそうになりがらも情熱を取り戻し、過去の自分の想いに再会し更にそれを昇華させる。最後は救えなかった他者(または出会えなかった他者)への無念の慟哭(慈愛)
死んでたらハグできないから死んでないということがわかり自殺説は消えました。めでたしめでたしです。そもそも自殺説を流布する人はこのMVの中の物語だけを追い過ぎていて事の真理が見えなくなっているようです。それこそこのMVが批判していることだからとても興味深いですね。敢えてそれぞれのストーリーを織り込みながらも、第三者は決してその真実に到達することはない。
解読する前は全体はある一つの空気感であり雰囲気として「僕」を包み込むものとして表現されているにすぎない。しかし見えるものをつぶさに追って行って我々は物語を再現しようとする。だがそれでも否定できないものとしてそれぞれの存在がある。お互いを無条件に受け入れて愛で包み込み、平和の祈りを捧げようというのがこのMVの主旨です。
つまり、観ている側の都合で消し去ったり覆い隠すことが出来ない他者の存在を受け入れることから責任ある一人の人間としての道を歩みだそうというのが作品の意図です。
読み解くことだけに集中し過ぎるとまさにこのことを忘れてしまうのです。
自殺説はまさにその極致にある例だと思います。
※51
全く同感です。こうした作品は人間性の伝承という意味ではある程度歴史のなかで完成された哲学的もしくは宗教的な形があってそれを読み取ると同時に我々が日々の暮らしのなかでそうした想いを受け継ぎ持続すること全体がまた一つの作品として意図されています。あなたのようにその意図を理解している人もいるので作品も報われると思います。
※53
強い生命力が感じられるパフォーマンスが見られる事に期待ですね(はー、楽しみ)