欅坂46は新曲“ガラスを割れ!”で、またもや想像を超えて時代を射抜く「反骨」の表現を生みだした
欅坂46が、新曲“ガラスを割れ!”のミュージックビデオを公開した。
同曲を初めてフルで聴いた時、これまでのシングルとはまた違う曲調で新鮮に感じられた。というより、欅坂46のシングル表題曲はここまでどれも異なった曲調であることになるのだが、そうでありながら彼女たちの「欅坂46」としての像は一貫してブレることはないばかりか、その芯はだんだん強固なものになってきていると感じる。そして今回、欅坂46が今までで一番「ロック」を全面に出したこの楽曲を6thシングルの表題曲として掲げたのは至って自然な流れというか、今だからこそ彼女たちの中に育つ強い芯と、ロック調の楽曲・衣装・パフォーマンスが気持ちよく合致したのだろうと思う。
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Twitterの反応
ロキノン
相変わらずブレないレビュー
2/18放送 ロッキング・オン社長 渋谷陽一氏がプロデューサーを務める「JAPAN COUNTDOWN」で『ガラスを割れ!』MV特集を予定
2018/2/18 OA
<TOPICS>
欅坂46 SG「ガラスを割れ!」MV
欅坂46が来月リリースする新SG「ガラスを割れ!」のMVが公開されました。撮影の場所は長野県にある工場跡地。冷え込みがピークに達していた1月、外の気温はマイナス10度。その寒さはまるで、オリンピック開催中の韓国・平昌。メンバーたちはロック調の新曲にあわせ、寒さを吹き飛ばす魂の込もったパフォーマンスを見せました。
引用元:テレビ大阪
ロキノン絶賛。
安定の週刊欅ちゃん
今回に関してはロックに寄せたんやろ
御用メディア
今野もロックアーティストと呼んでるし当然だな。
7th表題曲は、てちの全パート単独ボーカルにして少しテンポを遅くしたロック系を見たい聴きたい楽しみたい。
スタンスの問題だね。
何れにせよ良い流れ。
ロキノン警察がくるぞー
ロキノンといえばGWに千葉の蘇我でフェスやるけど、ぜひ、ね、渋谷さん頼みますよ
秋元康がロックってことだね
康の歌詞は陳腐なのもあるけど、欅も乃木もAKBも関係なく、すっっごい良い歌詞ある
ロキノンも出版不況のなか
いろいろ模索してんなあ
最初の記事の署名名倉の嫁の名前書いてあるけど同姓同名?
絶賛勢のファンはそれでよいとして、今回の表題曲は期待が外れたファン以外にも困る人がいるとしたら案外渋谷洋一さんというかロキノンじゃないかな?と(勝手に)予想してました。これちょっと擁護するの大変だろうなと。
建前としては新しい試行のないロックをバサバサ斬っていきたい筈のロキノンとすれば、アイドルは別腹くらいしか言いようがないだろうとも思ったのですが「マインド」はやっぱりロックですか。
まあ肯定的に書いてくれるのはありがたいけども・・。
欅のこれがロックなら安っぽすぎ。安易にロック言わないほうがいいと思う
産業ロックは動脈硬化ってな。
プロダクトは否定しないけど
ここに来ちゃいかんよRock好きとして
なにより、全然Rockじゃないメンバー皆がぶっ壊れるぞ!?
ロック風なモノマネでしょ。全てが凡庸でありきたりで安っぽい
これを無理矢理褒めなきゃいけなかったんだとしたら同情する
ロックが何か?欅はロックであるか?とやりだすと、答えはない。これは欅に限らず自称ロッカーの方々にも答えがないのが正解だろう。上の記事を読んでわかったのは、ロックがロックであろうとする精神において、共通するものがあるということだ。欅も、ロックがロックであろうとするときに発するのと同じメッセージを発していることになる。ということは、ロックの精神とは、ロックという形式内だけでの話ではなく、もっと広いものを指していることになる。自由を究極的に目指すと、最終的には自分自身が映り込む現在という断面で囲われた内部に留まることなく、その外側へと自分の殻を打ち破っていくことになる。それは同時に不自由、危険、不安のなかに飛び込んでいくことだが、その瞬間に放たれるものがそれぞれの個性として輝き、言葉を超えて、ロックの叫びとともに過ぎ去っていく。青春の輝きは若さそのものであり、ロックがロックであろうとするときに年齢を問わずわれわれのもとに回帰するかもしれない。それは若さへの憧憬のなかではなく、記事にもあるように今この瞬間にということなのだろう。ということで、欅がロックであるかどうかは、どうだっていい。むしろ欅が欅であろうとするときに、自ずとロックと同じメッセージを発しているということでる。これはサイマジョの時から一貫していて、彼女たちは通常のアイデンティティの定義の仕方とはことなる方法で自らにアイデンティティを与えようとしていることにも現れている。
※17
ロックが何、までは読んだ。
ロックにフィールドを拡げ新しいハイブリッドなジャンルを進む欅坂。
アイドルという枠組みでは説明できないことが、これからどんどん起こっていくだろう。
17
文章こんだけ書けるの凄いわ
受験で小論文書かんとあかんから、代わりに書いてほしいわ
ビジュアル系ね。
ロックを語るケヤカスに爆笑www
※20 受験の小論文をあんな文体で書いたら落ちるで。
欅はロック
平手はアーティスト
歌詞の内容やら曲調はロックなのかもしれんが
他人が書いた歌詞をただ歌って、踊ってるだけで
欅坂本人たちの言葉でもないものをロックと呼んでいいのか・・・
まあ本が売れなきゃ死活問題だから察するべきか・・・
上の記事読んでない個人の感想だけど。欅にロックは感じるよ。楽曲じゃなく生き様とかそーゆー部分でね。少なくともこんな所でウジウジ言ってる連中よりは余程男らしいと思う
ロック語ったったぞ~、ワイは69が好きなだけなんや
「こんなのロックじゃない」と言う人は、じゃあ何がロックなのか教えてくれ~。皮肉じゃなくてマジで
概念を定義せずに批判されても全然ピンとこないんだわ
欅はロックって謳いながらも
ケヤカスはドルヲタのまんまなんだな
やっぱ伝え方がうまいな。シングル表題曲曲調は違うけど芯は同じか。
既視感を感じられるのは、もう他のジャンルを食っていってるんだろうな。もちろんアイドルがやってるのは今までにもあったけど、欅にはまた違うものを感じる。うまく言えないなぁ〜
※17
正面から向き合ったしっかりした文章だと思います。
※17
『ロックが何か?欅はロッ・・・』
までは読んだ
要するにRockを冒涜するプロダクトアイドルと糞メディアってことだよね。
ロックは嫌い。
ロックやってる男も嫌い。
欅は好き。( ・`д・´)
今回の曲も最高!
欅はロックなのかも知れないが、であればロックしてる欅が好きなのであって、ロックは好きじゃないんだよ。
※17
問題です。ロックって何回言ったでしょうか?
欅坂は握手しか能がないAKBみたいなろくでもないグループとは違う
楽曲とパフォーマンスで一般に受け入れられている貴重なグループ
秋元さんも社会の偏見を覆すならもっと欅坂を大切にするべし、AKBなんて片手間で十分
そうか
寒くて暖かくなろうとして暴れてただけだったのか
つまり自分が※17で言いたかったのは、欅とロックの親和性というのは、社会の対立構造をロックという現象に見ようとするナルシシズムではなくて、その対立構造を超越した精神に力点を置いているということなんだろうな。ただこういうことを伝えるうえでは、あえて前者を利用して後者を盛り込むこともあるから、あくまでもシンプルに人間を描いてるんだろう。
あんまり考えこむとドツボだな
かといって考えないのも嘘だ
※37「社会の対立構造をロックという現象に見ようとするナルシシズム」とはどういう意味ですか?
反抗や対立をロックを結びつけることがたんなる陶酔にすぎないということですか?
仕方がない。
ソニーは大切な番組スポンサー様。
サカナクション の『 アイデンティティ』を聴いたらいい
ビクターだけどね
。
欅はアイドル好き層とロック好き層が混在してるから大変だなぁ
※42
多民族国家みたいだ
※39
ロックの定義は既に二通りのアイデンティティの定義の仕方によって、ロック自身が引き裂かれているということです。一方は対立構造に回帰し、もう一方はそれを超える力として定義されます。分かり易く例えると
前者は、悲観的であるけれども、そこに胡坐をかいて留まる。
後者は、自分がロックであると認識した瞬間に、ロック精神でありつづけるために、自分の影を追い払うように、影の外へ外へと進んで行き、安住の地を持たない。
基本的に我々は前者の方法でアイデンティティを確認し自らに与え勢力を保持するのですが、欅の場合は「僕は嫌だ!」という叫びにもあるように、彷徨い続け、「ガラスを割れ!」の歌詞にもあるように、ぬくもりさえも必要としないと言い放つ。
対立は生きるための闘争ですが、対立のなかに留まっていては最早闘いの意味、生きる意味はないわけです。生きるとは変わること。二人セゾンです。
曲調がロックなのと
本質がロックなのはまた別の話。
たとえ曲調が演歌だとしても「魂」があって
言いたい事、主張があるのが「ロック」
フジロックで日本人でメインステージのトリをした事がある、
ブランキーやミッシェルはロックバンドだと思う。
アンチの皆様、巡回お疲れ様です!
お前ら暇だな。
昔から体弱そうだった渋谷陽一さんまだご存命だったんだな
※44 丁寧に解説いただきありがとうございます。
なるほど。理解がきちんと及んでいるかわかりませんが、たしかに対立それ自体はあくまで手段的価値をもつにとどまり、内在的な価値を持つものではありませんね。闘うのはなにかを守ったり手に入れたりするためにするものであって、闘うことそれ自体を求めるのは手段と目的を混同する誤りを犯すことになる。
あなたのおかげで自分が6thにピンとこなかった理由がわかってきた気がします。
こちらもまた自閉的な空間や対立自体に留まり続けるのではなく先へ進むことをもとめられているのかもしれませんね。
ロックアーティストが怒るぞ。
欅は作詞作曲は大人任せで口パク放棄してるのにそんなグループ褒めたらロックが腐るぞ。
※50大人任せで歌うのすら拒否の精神はまさにロックだろ。自分で曲必死に作って何がロックだよ。他人に作らせろよメンドクセエ。
「今回はロックで・・・」ってメディアやファンがいつも以上に過剰に煽ったり、挑発したりするから音楽ファンから色々と反感買うだけで、「今回はロック風(ロックっぽい)・・・」とか言えば、みんな温かい目で受け入れたんじゃないかな?
※51
それもうただのニート。
ここでロックかロックじゃ無いか話し合ったって絶対解決せん
昔櫻井翔が言ってたな
「嵐というフィルターを通して楽曲が持つメッセージを届けたい」って。
もちろん米津玄師みたいに作詞作曲も歌もダンスも一人でやってのける人もいるけど、みんながみんなそういうわけではない。
歌手は自分の声を武器に、ダンサーは自分のパフォーマンス能力を武器に楽曲を表現してる。
欅坂はほとんどダンス未経験だから能力はまだまだ低いけど、楽曲の意味を理解し、時にがむしゃらに時に丁寧にパフォーマンスしてきた。
欅坂のメンバーだけを見てファンになった人はかなり少ないと思う。
みんな楽曲と欅坂のパフォーマンスを見てファンになったんだと思ってる。
メンバー1人ひとりのマインドを考えるなら、本音ではアイドルらしいアイドルをやりたい子も多いんでない?
上から無理やりロックやらされてる感じだと思うけどね。
※55
>欅坂のメンバーだけを見てファンになった人はかなり少ないと思う。
みんな楽曲と欅坂のパフォーマンスを見てファンになったんだと思ってる。
・・・そうか?
デビュー前の握手会やお見立て会は客ゼロだったと言うのかい?来場してた客全員ファンじゃないとでも言うのか?
後乗りファンの範疇内で物事決めつけて、デビュー前から応援している熱心なファンを無視するのは、ちょっと失礼だと思うぞ
毎度不思議なんだが、アイドルファンはアイドルをそこまで卑下しなくてもいいんじゃない?どうあがいても、世間の目は変わらないし、欅のように今までのアイドルとはちょっと違うんじゃない?って匂わせてるくらいで文句言われる筋合いもないよね。アイドルロックが本物か偽物かなんてアイドルファンしか気にしてないでしょ。それよりアイドルファンにとって、AKB、乃木坂、欅の変遷が、AKB・ロカビリー(50s)、乃木坂・ポップ(60s)、欅・ビートルズ(60-70s)、「ガラスを割れ!」マイケルジャクソンのThriller期(1982)くらいに捉えている人も少なくないのでは?
つまり、ビジュアルへの客の参加度、ダンスミュージックと映像の関係として、どう変化していったのか、というほうが、ロック云々よりも切り口としては近いのではないだろうか。
※44 ※49
いい話を聞いたなー。
ロキノンの言いたい事はわかります。でもそれでは今回迷えるファンは救われないと思います。
ロキノンの記事も、このスレに読むに値する貴重な意見を書いて下さっている方々の話も、それ自体は分かるしその論旨自体には賛同するところの方が多いけれども、おそらく今回の曲に対して欅坂のファンが抱く喪失感はそれでは埋める事ができないでしょう。なぜならば、話の起点がそもそも異なっているからです。(まあロキノン記事も迷えるファン向けの回答ではないでしょうが)
いろんなところでの※を見ていると今作についてのネガ※の殆どは「ありきたりな作曲」であって、つまりこれがロックかどうか?反逆路線を維持しているか?MVがかっこ良いか?とはそもそも別の話。
現状打破を続けようとする欅のマインドはロックであるという話は賛同できるけれど今回はそこではないと思います。なぜなら楽曲のジャンル含めてそれはおそらく欅坂のファンの殆どにとってどうでも良い事で、その興味の対象は主に欅坂の楽曲として維持して欲しいレベルに達しているかどうか?でありそれは作詞が変わらないわけだから、主に作曲のクオリティーに関してでしょう。
今回のファンの戸惑いはそのレベルがいままでと比べて著しく落ちたと感じているところにあると思います。だから欅もついに夢見る少女じゃいられなくなったかと書いているんだろうと思います。
そういうのは秋元氏の755や運営にメールでも言えばいい話じゃね?
楽曲がオリジナルかどうかで判断するのは無意味。
楽曲とパフォーマンス、生き様に感動してファンになった人たちと
けやかけを見てその外見でファンになり、これまでのアイドルと
同じように「その手に触りたい、話したい」というオタクファン。
この2つのグループが相容れることはない。
もちろん、どっちにも我儘野郎、分からず屋もいれば、
純粋なファンもいるんだけどね。
ロ(パ)ック
全ては大人の言うとおりに一生懸命パフォーマンスしているのに「反骨心」はないだろう。ロック路線で行くかどうかも、大人の運営の匙加減次第なんだから。
評価されるのは嬉しいけど、あまり何でも褒めすぎると「御用」などという不名誉なレッテルを張られ信用性を失いますよ。雑誌不況なのか、と思ってしまう。
ネットで揚げ足とって喜んでる連中がロックと無縁な事だけはよく解る
アンチキモヲタはロックとは縁遠いよな!理解も無理だろう。アイドルの○ンチラでも追いかけていろ!
ロキノン系集客のためのケヤキ陣営への媚び売りかー。
ロック好きでアイドル好きは多いけど、この雑誌はずいぶん前からロックではなくなったよなー。
小器用な書き手に、批評性皆無の提灯記事を書かせる姿勢。ロックじゃない。
ガラスを割れ!は、「アイドルらしさ」というガラスを割ったゴリゴリのロックに挑んだ!というふうに見せてはいるが、男っぽいロックを演じさせられているだけ。元々そういうのが好きな女の子らが集まったグループなら、全然かまわんのだが。
今までの欅の、アイドルらしさというよりは少女らしさが捨てられたせいで、リアルに世の中に立ち向かっていく彼女たちの姿を見ている臨場感が消え失せた。
運営の大人たちがイメージを作り上げているという舞台裏が、より透けて見える。その大人たちの内にロキノンも完全に入ってしまっているのが、今回の記事でより鮮明になった。
飼い慣らされた犬になるなよ、と歌う欅自身が、その犬に見えてくる。
今の評価だけを見て未来を決めるなんて本人でなくても誰にでもできる。周りからみたら「そんのできっこないよ馬鹿げてる無謀な挑戦だ」ということでも自分たちの未来を模索して描きながら夢を形にしていくことは彼女たちの自由。その茨の道のなかで一貫した真理をつかむかもしれないしそれによって夢を書き替えられることもある。周りの人は「そんなことにはもう付き合ってられないよ」といって離れていく人もいるだろう。それでもそばで支え続けることが彼女たちの未来を大きく開くならそれがベストだろう。過去に縛られずに自由に羽ばたけ。音楽とダンスでメッセージを届け続けろ。自分たちでも思いもつかないくらい大きなものを残すときがくるから。
※69
そんな青臭いポエティックな思いを寄せてついていくような対象なのか疑わしい。こういう文章はロキノンでは歓迎されそうだけど。
彼女たちが自由に羽ばたいてるんならいいけど、大人たちが決めた方針に従ってるだけだろうし。バンドじゃなくてアイドルだからな。
その上、メッセージとやらも惰性とマンネリだから、心が離れる人が出てきているわけで。メッセージを書いて演出しているのも大人たちだし。
※70
もちろんアイドルですよ。誰も疑わないし彼女たちだってそのつもり。それとアイドルは青臭くてポイティックだから存在意義があるんですよ。アイドルをつまらなくするのはアイドルをヲタ特有の教条主義の下僕にしてしまうこと。所詮根っこにあるのはヲタの身勝手な独占欲でしかないんだから。それでいくらアイドルのために、アイドルとして、こうあるべき、なんて言ったところで自己欺瞞以外の何物でもない。
彼女たちが未来へ羽ばたこうとする意志からしか新しい意味は生み出されない。その惜しみなく挑んでいく姿が観衆に勇気や希望を与え、同じように未来への意志が生れる。
ある意味、アイドルでも啓蒙主義的な奉仕活動になりえるということを欅は実践しているのだから、そこから得るべきものを得ることができるかは、観衆の心根次第。
それに気付かなければ、つまらないと思う者にはつまらないものであり続けるし、アイドルという枠を超えたことに罰を与え、アイドルとして足りないことに不満を言う繰り返しにしかならない。しかしヲタ基準の牢獄に閉じ込めていたらアイドルなんてネガティブにしか自分たちを表現できないだろう。
まだ握手券つけてんのかよ、だせぇな
※72
キモヲタがいう「だせぇな」は応えるな~www
※71
風に吹かれてもでは、従来の欅の青臭さから離れていたし、ガラスを割れ!はポエティックとはまた違う。青臭くてポエティックじゃなきゃアイドルとして存在意義がないのなら、欅のアイドルとしての存在意義は薄らいでいるということになる。
俺は、アイドルは青臭くてポエティックであれという「教条主義」の牢獄に閉じ込めるつもりはない。アイドルの中でも特に青臭くてポエティックだった欅がそこから脱皮しつつあるのも、それ自体は否定的には見ていない。
が、今回の曲は特に、よほど幼稚な精神構造の持ち主でもない限り、啓蒙されるような歌詞でもないし、飼い犬になるなとかガラスを割れとか、比喩もメッセージも陳腐。そして、青臭くてポエティックな持ち味も希薄という、半端なありさま。
アイドルが男臭いロックをやっているという、アイドルの枠の中での表現でしかない。アイドルの枠なんてまだまだ超えていない。
長い目で見れば、今回の半端な状態も、成長過程として通らねばならない道なのかもしれないが、単独で曲そのものを評価すれば、批判されるのは当然。むしろ、その批判をも成長過程として正面から受け止めて通るべき。
※74
ご返信くださりありがとうございます。
あなたの考えは概ね理解しましたが、一点、啓蒙について私の考えと違いますので、詳細は時間があるときにまた返信させてください。それによっては全体的に若干ニュアンスが違ってくると思います。
差し当たって事前に概要を言っておくと、啓蒙というのは、言葉により心の風通しを良くすることです、言い換えると、言葉で心が本来の若さを取り戻すということです。もう一点、青臭さというのは、この心の若さが現実との摩擦、軋轢、享受のなかで、また年齢や経験に応じて異なる現れ方をします。欅には表現は違えど一貫して青臭さがあるようです。ポエティックはその現れる時の言葉による変換の純度のようなものです。どれだけ本質に迫り抽出し表現のなかに本質を再発見しうるかという、実体を迂回するときの言葉の純度です。
あなたの意見に近いかもしれませんが、わたしも最初は犬という言葉が耳に付いて引きずられる感がありましたが、本質的には一番端的に「若さ」を言い表す言葉だと思います。
フランス語ではhumanitéを論じる際には必ずanimalitéが同時に論じられます。人間自身の条件としている経済的で物質的な世界の外で結ばれる関係、即ち友愛などを可能にしている「若さ」を表現することにおいて、如何に人間そのもののエッジに到達しうるかが表現上は重要なテーマになります。
そういう観点からは、あの工場が廃墟となった教会にも見えましたし、ガラスを割ることはそのまま明確な対象物を浮き上がらせるのではなく、先ずは剥き出しの物質のなかに光を取り込む表現として「啓蒙」「若さ」それ自体に直接的に迫っているようです。ガラスを割るというのは、見るべきものを見るための状態を作るために、心の風通しを良くするということです。普段われわれは自分自身で蓋をしている状態ですから、風通しを良くするということは自分を守ってくれるものが何もない状態、ぬくもりさえも必要ないと言ってしまう状態です。
そうしたときに初めて見えてくるガラスの向こう側の景色があるのですが、それはサブリミナルで監督が挿入していた絵だと思います。この辺りも意図的にやっているのだと思いますが巧みな表現ですよね。
自分自身という明確な像が結ばれる瞬間にその像を映し出す自分の心の蓋を、ガラスを、壊していくというのは、如何にも青臭いですが、それが若さであり、表現そのものであり、伝えようとする意志です。
われわれがロックかどうかを論じる際に気を付けなくてはならないことは、ロックと似ているかどうかというところから始めてはそれらの本質は論じ得ないということです。ロックを開始する状態があるかどうか、つまり伝えようとする意志があるかどうかの一点です。
またそこにしか彼女たちが毎回姿を変えていく動機はないのです。
ある意味、変身ですが、変身のなかにある二つの方向性が見えてきます。
続きはまた後程。
※75
下衆の勘繰りかもしれないが、こちらが反論し難いように、わざと持って回った言い回しをしている印象さえ受けるんだけど・・・。仏文か哲学でも勉強しているのかもしれないが、フランス語を持ってくる必要ある?
光がどうとかいう論を展開しているのも、「啓蒙」が西洋の言語で「光」「明るくする」って意味だからなのかな。そこも含めて話の全体として、そんな大層に、大上段に語るほどの作品じゃないだろう。ランボーの詩か「マルドロールの歌」でも論じてるのかと思えてくる。
比喩についてだけど、まず、「犬」に「若さ」の意味を読みとるのは主観的に過ぎる。噛みついたり吠えたりする本能を自ら抑えつけて、何ものかに馴らされているという程度の意味だろう。
「ガラス」の比喩は、三度目に出てくる際には「想像の」と形容されている。障害物としてのガラスは本当には存在せず、心に生じた幻影でしかないのだというわけだけど、それだけだと抽象的に過ぎる。
より身近で具体的な場面での、実際にはありもしないガラスに遮られて不自由でいる状況を描けば、聴き手に気づきを与える「啓蒙」的な歌になり得ただろうけど、そうはなっていない。
聴き手のナマの生活に迫る詞じゃないから、「月曜日の朝、スカートを切られた」のように世の(やや偏狭な解釈による、神経質な)批難を浴びることもない。つまり、噛みつけとか吠えろとか謳ってはいるが、その歌自身は噛みついても吠えてもいない。
抽象度の高い詞の方が一般性、汎用性は高いが、その分、内容空疎とも言える。一見すると具体的、個別的な情景に普遍性を込める方が、上等な詞ではないかと。
今回の曲なんかより、「月曜日…」の方が遥かにロック。「ガラスを割れ!」は、曲、詞、ビジュアル面で、既存のイメージとしてのロックっぽさに満ちてはいるが、中身は大して無い。
詞やMVから連想的に色んなことを考えることは出来るのかもしれないが、それは聴き手であるあなたが与えた、主観的な付加価値だろう。